パスクアーレ・ディ・レーナ 文
私は夢のような場所に住んでいる。なんという幸運だろう。グラン・サッソからトレーミティ島、マイナルデ山からガルガーノ半島、マイエッラ山地からモリーゼの丘、全てが私を取り囲む。これほど多彩な自然に恵まれた「小さくて大きい」モリーゼは、その魅力で私を導いてくれる。
ラツィオ州からアブルッツオ、モリーゼを経てプッリャ州へと広がる丘陵地は何度も歴史の舞台となった。70万年前の直立歩行人類のホモ・アエセルニエンシス。サムニウム人やその部族のペントリ人、フレンターニ人。古代都市ジェリオーネに滞在したハンニバルなど。豊かな伝統を受け継ぎ、風土、農業を守ってきた地域である。なだらかにうねる大地の中に点在する森や集落、そこには昔と同じ料理の匂いが漂う。モリーゼは都市と農村が程よく共存し、少しずつだがあらゆる要素を持った地方である。我が家の周囲は高い糸杉林とオリーブ樹が標高500メートルの丘の高低に沿って続く。正面には小さな農園、その奥は果樹園になっている。サクランボ、アマレーナ・チェリー、桑、プラム、柿、ナツメ、クルミ、アプリコット、リンゴ、梨、アーモンドを栽培している。私はこんなにも美しい土地で暮らし、滋味に富んだ地元の野菜や果物を食べるという幸運に恵まれた。
だが、節度は守らねばならない。もはや資源と価値の浪費でしかない消費主義、その只中で忘れ去られた美徳である。常に深刻化する大量消費から脱する為に、どうしても取り戻さなくてはならない事だ。消費主義のさらなる拡大などあってはならない。オリーブオイル、パン、パスタ、自家農園、そこで自然栽培した果物や野菜、私の暮らしは遠い昔の質素な時代に戻ったように見える。しかし、現代では途方もない贅沢だ。これらの農産物は私の料理の起点であり、インスピレーションも与えてくれる。安全で体に良く、その上、美味しく栄養価も高い。我が家だけでなくモリーゼでは多くの場所で伝統料理を堪能できる。レシピは家庭や季節によって変わる。そのヴァリエーションこそ多様化の未来や効果を後押しする重要なファクターである。一方で規格化、均一化、怠惰と相容れない点である。
四季の移ろいと共に景色や畑は常に変化し、料理人の想像力を刺激し続ける。作物は空腹を満たすだけのモノではなく、創造力を満足させる文化の源泉とも言える。不意の遠方からのゲストを地元食材で迎える瞬間は最高の腕の見せ所である。本物の食材、高品質の食品(例えばワイン)は文化そのもの、それだけで良質のもてなしである。最近、テレビでは料理ショーが大人気である。有名コックの技(主に調理のスピード)と料理の見栄えに重きを置き、芝居がかった演出で調理し、食材を見せびらかす。すべてが驚きと感嘆を呼ぶ仕掛けだ。こんな風潮の今こそ、人体の主要クリーン・エネルギーである食品の持つ重要性と根本的な価値を再認識すべきである。これは11月にリミニで開催された第2回イタリアフード・ブロガー協会の集いでも議論された。さらに、品質と関連性の高い生産地にも目を向ける時だ。生産地の評判はその産物によって左右されるほど両者は切り離せない。生産物はその土地のバロメーターであり、セールス・ポイントである。つまり、何よりも優れた代弁者、証人になりうる。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノやDOP、IGPの高級ワインが良い例である。
大地は美味しい食べ物や風景の母であり、歴史、文化、伝統に匹敵する役割を担っている。勤勉な農家の力を借りて作物を生む農業が成り立つのも大地があるからである。しかし、それ自体も都市化の犠牲者である「公共の福祉」という大義名分の下で、毎秒8平方メートル(イタリア国内)の土地がセメントやアスファルトで覆われ、ドリルで掘削されている。これは農作物が失われつつあるという事だ。大地は常に危機にさらされ、未来のない空っぽな箱となっている。
製品仕様
生産者 | パスクアーレ・ディ・レーナ |
---|---|
原産国 | イタリア モリーゼ州 |
品種 | ジェンティーレ・ディ・ラリーノ
※ラリーノ土着品種 |
抽出 | コールドプレス(27℃) |
EU有機認証 | 有 |
輸送 | 空輸 |
収穫時期 | 9月下旬〜11月初旬 |
収穫方法 | 手摘み |
粉砕 | ハンマークラッシャー |
輸入後品質管理 | オリーブオイル専用セラーで保管 |
インポート | アントビー株式会社 |
製品仕様
内容量 | 15g / 80g |
---|---|
全成分 | カリ含有石けん素地、オリーブ果実油、シリカ、ハチミツ、炭、グリセリン、水、エチドロン酸4Na |
製造国 | 日本 |